
2012年12月10日
映画「不自然な食べ物」
遺伝子組み換えをした種子とその種子によって作られた作物・・・
それらの種子に翻弄された世界各地の農家のドキュメンタリーです。
遺伝子については専門的な部分もありましたが 分かり易く解説されてありました。
従来の人工交配で作った種子とは全く違い、自然界では存在し得ない品種を遺伝子の操作で作り出したものです。
除草剤をかけても枯れない大豆、害虫が食べたら死ぬように遺伝子操作されたトウモロコシ。
海外では農家にとっては、手間要らずで大量に作れると謳われ広められてゆきましたが・・・実際はそのように単純ではない、深くて暗いものが潜んでいると言う内容でした。
その深くて暗いものは気づかないうちに身近にあったのが、ショックでした。
実は、てんとうむし夫は大学で「分子遺伝学」を専攻していたので、遺伝子組み換えの作物についてはかねてから疑問を持っていたようです。
今から20年程前 『遺伝子の話』という20ページ程の冊子を書いて、「宮崎なっぱの会」の方たちに読んでいただきました。
わかりやすいように、「おじさん」と甥っ子の「たかしくん」の問答形式で話を進めました。
(たかしくん、名前借りてたのを今まで言わなくてごめんなさい

ワープロもパソコンもまだ普及していない頃だったので、手書きです。夫の字があまりに下手なので、私がずいぶん代筆しました。
その頃から危ぶまれていた問題点がより一層深刻になっていると感じた映画でした。
2012年03月26日
29万の雫
劇団『一演』のS君、Aさん、一人娘のAちゃんが我が家に取材にやってきたのは、去年の5月24日。
2010年春、口蹄疫が発生した時、私たち夫婦はどのように過し 何を考えていたのか・・・録音テープを前に改まってインタビューされるのも、ちょっと妙な気分でした。(かつて私は『一演』のメンバーだった)
私たち夫婦がインタビュー第一号との事。インタビューの練習にでもなれば、それでいいだろうと思ったので、緊張感ゼロでした。
あとで、今しゃべった事を一言一句違えずに原稿におこし 自分たちで演じると聞いて「しまった!」と思いました。(ほぼ雑談ばかりでしたね~)
あれから10ヶ月。
役者さんたちは、畜産農家、スナックを経営されている方 獣医さん 建設業者 国会議員 JA職員 僧侶など様々な方に 県内だけでなく 鹿児島や東京まで出かけて取材を重ねたそうです。
今回の公演では、私たちのインタビューは取り上げられなかったのでなんだかホッとしてしまいました。
ごご7時開演。
この公演を企画中に逝ってしまった彼は 客席に座るだろうか、舞台に立っているだろうか?
インタビューを受けた方たちが 役者さんによって舞台に現れました。
何を思い どう行動したのか・・・
目に見えない ちっぽけなウィルスによって翻弄された私たち。そして28万8649頭の命。
「口蹄疫が発生した」それだけの事実に たくさんの人たちのそれぞれの真実が重なり、「国のため」と言う魔法の言葉によって、何やらとてつもない生き物が産まれてしまうのでしょう。
公演を観た後、今もまだ収束していない原発事故や 両親が体験した戦争と どこか似ているようだと思いながら帰りました。
2011年12月25日
クリスマス!
そして 今夜はクリスマス!
我が家には一足早く こんな素敵なクリスマスカードを頂きました・・・
白いツリーとトナカイは、今夜のように冷え込んだ夜にピッタリですね

今年もありがとうございます! (牛たちはげんきですよ~)
畑は凍って 雑草も白く化粧をしたようです
こんな朝は、手作りの「ロケットストーブ」(作ってくださったのはご近所さん)
夫は毎朝 これで温まりながら仕事を始めます
すると夫の友人からクリスマスのプレゼント
ダッチオーブンです
美味しい焼き芋ができました
アウトドア上級者の友人は・・・
おいし~いパンを焼いています。
たくさんの友人 知人のお陰で 暖か~いクリスマス&年末を迎えることが出来ました
今年も皆様に感謝です!
2011年10月23日
ふるさと祭り
我が家の畑は水はけは問題ないのですが、これほど雨に叩かれては、また蒔き直さなくてはいけません
稲刈り後の田んぼを見ると、まるで今から田植えでもするかのように、水が溜まっていました。
しかし今日(22日)は朝からすっきりと晴れ、心地良い秋風も吹いて、「おまつり日和」となりました。
今日の祭りでは、町内の畜産農家は 去年に引き続き『焼肉の格安販売』をすることになりました。
私も9時から、販売のお手伝いにいきました。
先ずは畜魂碑に全員でお参り。
それから畜産農家の皆さんや、役場、農協の畜産関係の方たちと一緒に、お肉を焼いて、パックに詰めて・・・
『格安』でも、お肉は『高級』『美味』

お客さんは一時行列ができるほどたくさん来て下さって、お昼までに600パック程が完売しました。
売り上げは全額「東日本大震災義捐金」に寄付するそうです。
会場の一角では、震災の被害を受けた市や町の写真も展示されていました。
被災地に応援に行かれた職員の方から写真の説明をうけていると、身体がゾクゾクする感覚を覚えました。
メッセージを書くコーナーがありましたが、もう 言葉がみつかりませんでした。。。
長崎で被爆したお義父さんが、重い口をひらいて8月9日のことを語った後に「実際にそこにおった者じゃないと 分からんわ」と言ったなあ・・・この6ヶ月 今は亡き義父さんの言葉が頭から離れません。
新しく出来た野外ステージでは、コーラスやダンスや太鼓の演奏やら、見所満載のプログラムでした。
(今年はじっくり見る時間がなくて残念です)
夕方には帰ったので、前川清さんのショーと 花火を見てなくて、これも残念です。
最後まで楽しむためには、もうひと頑張り 必要でした。
2011年10月15日
ジグマ
それはオオスズメバチの事です。
我が家の裏の林の中に置いてある『蜂の巣箱』が、オオスズメバチに襲われました。
ミツバチにとっては、恐ろしい存在だと思います。いえ、人間にも嫌われ者でしょう。
ミツバチはスズメバチを嫌って逃げ出したらしいです。蜜や花粉の入った巣を残して。。。
ミツバチの飼い主(所有者?)は、知人のTさん。見回りに来て 気づいたそうです。
近くにいる私たちが、覗きにでも行っていたら、もっと早く発見できたはず・・・なんとも悔しいです。
「くやしいですね~」と言うと
「いや~ 逃げ出しただけで、死んだわけじゃないから。きっと何処かで生きているから。来年は戻ってくるはず」・・・なんてゆったりとした返事

「あいつらの敵をとらんと・・・」とTさんはオオスズメバチの巣を探し始めました。
まず、蜜でスズメバチを呼び寄せて
それから 網で捕まえます。ヒョイって、簡単に。。。
捕まえたスズメバチに目印のコヨリをつけます。
写真だと伝わらないでしょうが、スズメバチの羽音が「ブーン ブーーン」と激しいのです

何匹かにコヨリを付けたら、何分で戻ってくるか計ったり、飛んでゆく方角を確認したり。
1分間で170メートル飛ぶ計算だそうです。
オオスズメバチはせっせと蜜を運んでいきます。(以前、捕まえたカナブンの羽や足を噛みちぎって捨てて、中身だけを団子のようにして運んで行くところを見たことがあります。雑食なんですね)
餌は自分で食べるのではなく、幼虫にあげるのだそうです。
そして、自分は幼虫が口から出す液体をもらって生きているのだそうです。
Tさんから色々教えてもらいました。
オオスズメバチも頑張って生きているんですね・・・刺されたくはないですが。
コヨリの付いたスズメバチの行く先を、木に登って見るために、Tさんは、どんどんと林の奥へと行ってしまいました。奥のほうでバキバキ ガサガサと音だけが聞こえます。
もう、とてもついて行けませんでした

しばらくして帰ってきたTさん。「どうも巣が小さいようなので、やめといた」とのことでした。
ミツバチ達が、来年も来てくれますように・・・
2011年07月20日
「29万の雫」
それでも、若くして逝った人の無念さや、残されたご家族のお気持ちを思うと、体から力が抜けてぼんやりとした日々が続いていました。
彼が代表を務める劇団から、少し前に手紙をもらっていました。
口蹄疫 ドキュメンタリーシアター「29万の雫」 取材協力のお願い・・・
文章を一部抜粋させていただきます。
『・・・私たちは宮崎で演劇をとおして表現するものとして、あの夏の出来事に、どのように向かい合って行けば良いのか、考えてきました。
そして、被害に遭われた方、様々な影響を受けた方、色々な事を感じた、宮崎の人たちの声を、舞台に乗せて発信しようと考えました。
そして、できることならば、宮崎の外にいる方に、この思いを伝えていきたいと思っています。
・・・<略>・・・しかし、口蹄疫災害に対する思いは、どんな他所のプロの劇団よりも強く持っています・・・』
深く、強く、思ってくださったのですね。
彼の美しい眉を、ずっと覚えていようと思います。
彼と一緒に芝居を作り上げていた方たちは、どうしていらっしゃるのだろう?
「がんばって」とも「がんばるな」とも言えず ただ思っています。
そして、祈っています。
2011年03月16日
3月11日の事
「会社の建物に ひびが入った。阪神淡路みたい・・・会社の2階は色んなものがメチャクチャで、仕事にならないから、自宅退避って事になったよ」
長男は大学生の時 徳島県で阪神淡路大震災を経験していました。何時でも物静かな息子が ちょっと慌てています。
その1時間前の3時ごろ、ラジオを聴いていた夫が「東北の方で大きな地震があったみたい」と言いながら収穫した野菜の配達に出かけて行きました。
「ふーん 震度は?」とテレビを点けてから、映し出される映像に言葉も無く ひとりで硬くなって座っていました。
こんな事が現実に? 今 必死で津波から逃げようとしている方たちと、テレビの前に座っている自分と 自宅退避になった息子と・・・皆 同じ時間を共有しているのに。。。
「停電で信号機も点いてないよ」
「大丈夫ね? ゆっくり帰ってね。着いたら電話してよ」
・・・その後電話は通じなくなり、翌日の夕方 やっと声が聞けました。
帰り道はブロック塀が倒れたり、瓦が落ちていたりしたそうです。
息子の部屋もメチャクチャで。。。
冷蔵庫の戸が開いて、中のものが飛び出し、食器棚から食器が飛び出し割れて・・・家具の配置も変わっていたそうです。そしてアパートの外壁にもひびが・・・
その夜は車の中で暖房を入れて過ごしたそうです。
朝一番に給水の列に並ぶこと4時間。それでも順番が回ってこないので諦めて帰ったそうです。
すると、帰り道の民家に「井戸水あります」の張り紙が。
「並ばなくても水がもらえたよ」
「ありがたいね~ 井戸水は助かるね~」
「みんな、優しいよ」
お店に行くと 停電中だけど開店していたそうで。床に散乱している品物の中から必要なものを探して買ってきたそうです。「ほかのお客さんも 拾って買い物してたよ。とりあえず、お店が開いてれば 飢えないけど」
ジュースとお菓子はあるけど、水とかご飯は売り切れてしまったそうです。
荷物を送ってみようと思います。
肉用部会でも支援物資を送ると連絡があったので 身の回りの品やお米などを届けてきました。
口蹄疫で たくさん励ましていただいた時の時のお返しができれば・・・
2011年03月06日
参観日?
卒業式まであと数週間。。。
6年間の努力の成果を見届けようと 行って来ました。一年半ぶりの鹿児島です。
これが最後の参観日?でしょうか・・・
場所は黎明館
ここで、今春卒業する皆さんの制作展と論文の発表会がありました。
彫塑 油絵 コラージュや映像、パッケージ等のデザイン・・・絵画では、製作者本人から説明を聞けて良かったです。
まだ20代前半なのに、こんなに深く物事を見て感じる事が出来るのかと感心したり焦ったり。
折角だから作品の写真を・・・やっぱり撮影禁止かも・・・撮影は止めときました。
それから美術理論 美術史と美術教育学の論文発表。
初めての時は「論文」と聞いてカチコチに身構えていたけど、今年で2回目なので、もうすっかり楽しみになっていました。
娘でだけでなく皆さんの全力を傾けた研究の成果を腰掛たまま聞く事が出来るなんて、贅沢な一日です。
ところで私は今まで「模倣」は良くない事だと思っていましたが、今回の論文の発表を聞いて「模倣」から始まるのか~目からウロコが・・・の体験をしました。とことんマネて別のものが生まれたり。
芸術も文明も「模倣する気持ち」がなければ発展や熟成もかなり遅れたのかも・・・娘とふたり 帰り道を歩きながら考えました。
翌日は娘の案内で桜島に・・・小学校の修学旅行以来 43年ぶりです
・・・もう初めてと言っても良いですね。
フェリーの中のお店でおうどんを売っていました。
うどんを食べながら北埠頭を後にしました。
片道15分。150円。 早いし、安い! そして楽しい!
海を眺めながら 初めての足湯

また行きたいな・・・また来よう。。。
そう思いながら 帰りの船に乗りました

たっぷり羽を伸ばして、本日(6日)帰宅しました。3日も外出してたので、夫はひとりで仕事が忙しかったようです。さ~明日からまた確定申告の準備です。
2011年02月12日
厄年
・・・が、昨日の午後から仕事を早引けして寝込んでいました。
病院に行く元気もなく ずっと眠りっぱなし。
お昼頃長女からの電話
「今ケーキ屋さんだけど、もうすぐそっちに行くから」
「あっ 誕生ケーキなら無理よ また胃腸炎でぐったりしてるから」
いつも誕生日には美味しいものを届けてくれる娘ですが、今回は主役が・・・
「あら、また? イベントに弱い子だね~」
去年のクリスマスも、お正月も、申し込んでいたサッカー観戦も、そして誕生日も!
「きっと厄年じゃないの?」と娘と冗談を言いましたが、ネットで検索したら本当に「後厄」でした。
そう言えば、携帯電話も2回も落としてたし・・・
これは、お参りに行かなくては

たっぷり眠った息子は、夜には復活しましたが 長女からのケーキは息子の分だけクッキーに変更になりました。
車輌消毒槽の工事3日目 今日はコンクリートを流しました
2011年01月18日
寒い朝
そして、宮崎中央の子牛のセリの日でもあります。
牧場に勤める息子は いつもより早起きして出かけました。
午前4時 室温5度・・・息子を起こす。
目をつぶって布団をかぶったまま「もう起きちょる」
「そんなのを起きたとは言わんが~」
「起きちょるー」「起きちょらん!」
30分かけてやっと起こす。。。
たくさん着込んで準備して、まだ暗い中を出かけて行きました。
水道の蛇口をひねると、もう凍りかけていました。
水を使えば凍るヒマもないだろうと、午前5時から洗濯を始めました。
こんな時間には、他にやる事が浮かばない。ストーブで体を温めてから、また寝る事にしました。
私はストーブの前で、息子は車の運転中に、てんとうむし夫は布団の中で、午前5時46分をむかえました。息子が縁あって住んだ町が長田区でもあり、お世話になった方々のことを思いました。
室温は2度まで下がり 寒い朝になりました。
ウォータカップの水が凍りついて、こんな氷ができました。
そして配管が破れ、ウォータカップを買い換えました。
これで「ふじせら」も「はるみ」も新品のウォーターカップです。
夜、牛臭い息子が帰ってきて、「良いニュースと悪いニュースどっちが聞きたい?」
セリのお土産に、社長さんから美味しい牛肉を頂いて良かった!

でも、ケータイを落として皆と連絡が取れなくなった

便利と不便は隣り合わせです・・・
2010年12月25日
クリスマス
なので、今年は家族そろってインフルエンザの予防接種を受けて万全の備えです

ところが、皆で普通の風邪をひいてしまい、最後まで残っていた私もようやく復活です
気が付けばクリスマス!
今年は素敵なカードを頂きました
空もツリーも私の好きなピンク色です

気持ちもピンク色のように優しくありたいですね

今夜はたくさんのサンタさんが、大活躍していることでしょう・・・
息子が昨日から急性の胃腸炎で寝込んでしまい、ケーキもお預けとなりました。
どうやら、少しずつ快復してきていますが・・・健康が一番のプレゼントですね。
今年こそ、だれも寝込まないで新年を迎えたいものです

2010年10月18日
でじょごんさん
我が家は21年ぶり・・・2回目の「宿」でした。
1週間程前から、頭の中は 煮しめとお赤飯の事でいっぱい。
地区から預かったお金で、酒や焼酎 煮しめの材料などを買い整えました。
両隣のお家に手伝ってもらいながら、平釜で70人程の煮しめを作り、お赤飯を5升蒸かします。
当日は、ただバタバタしているだけで時間が過ぎましたが 地区の方たちがたくさんお手伝いしてくれたお蔭で、例年同様の準備ができました。
ご近所さんや 地区の人たちの 温かさや優しさを つくづく有り難いと感じました。
始めに 畑の中にぽつんと建っている「でじょごんさん」に、焼酎、水 塩 洗米、煮しめ、赤飯をお供えします。
でじょごんさんは、「大将軍」がナマったものらしいです。
でじょごんさんは 家畜の神様・・・とか。
今年は 地区の畜産関係者がみんな集まって、特に念入りに拝んでもらいました
お社は、林に守られてひっそりと建っています
このお社が神楽の舞台です。
毎年比木神社から 宮司さんを始め4名の方に来て頂いて奉納いたします。
お昼になると いよいよ始まり。
力強い笛と太鼓の音にあわせて舞が始まると、そこだけ別の空間です。
今年は舞の意味も説明してもらいました。。。
初めは「地固めの舞」 これから始まる事を神様に挨拶
2番目は「きじんまい」(漢字で書くと「鬼神舞」でしょうか?) 強力なパワーを神様は喜ぶそうです。鬼のパワーならなおさら!(生命力の塊りのような子どもたちの、鬼の面を見て泣く声がお社中に響けば、神様はますます喜ぶとか・・・)
3番目は「将軍舞」 弓や 矢を持って舞います。狩りや、けものの神様だそうです。でじょごんさんとも関係ありそうです。
最後は「たぢからおのまい」(漢字だと「手力男の舞」でしょうか?) ちょっと怖いけれど 上品な顔のお面です。
これでお開きのはずが、ことしは アンコールが! 神楽のアンコールって始めての体験です。
みんなが観たかったのは・・・
「じゅのまい」

齢300歳とかの、すご~く年寄りの神様だそうです。
杖をついて登場。舞の途中で眠ってしまう。
ところが、女の人を見ると 急に元気になる、ちょっとセクハラな神様です。やはり最後はこれでないと シマラナイ。。。
「年寄りでも こんなにがんばっているのだから、おまえ達もガンバレ」と言うメッセージが込められているそうです
すばらしい舞を奉納してくださった比木神社の皆様に感謝!
「宿」を助けて、盛り上げてくださった地区の皆さんに感謝!
神様に感謝!
2010年08月16日
お盆も過ぎて・・・
娘の入院のため、両家で孫のお守りを引き受け、子育ての楽しさと大変さを思い出したこの一ヵ月半・・・
先週は、新しい命の誕生がありました。 これから、ますます楽しく忙しくなりそうです。。。
そして、県外にいた息子が帰郷・・・しばらく畑を手伝ってくれるとの事。。。
丁度我が家も色々と忙しくなる所なので、とにかく、ネコの手以上に期待してまっす

八年間 我が家を離れて、すっかり関西弁の息子。 たくさんの友達もでき、むこうの生活も楽しかったようで、お餞別にいただいた品々がいっぱい!
しっかり畑仕事に励むように? こんな作業着が・・・
ちょっと、恥ずかしいけれど、粋なはからい

この時期 畑の仕事がはかどるのは早朝・・・がんばってね~
そして、お盆・・・
三頭のナスの牛たちです
共同埋却地にもお参りに・・・
花束を、牧草でしばって・・・
帰ってきてほしい・・・
帰ってきてほしい・・・
2010年02月20日
講演会のこと
18日夜、門川町クリエイティブセンターで行われた環境講演会にいってきました。講師は田中優(ゆう)さん。東京生まれの52歳。『環境破壊のメカニズム」『日本の電気料金はなぜたかい」などたくさんの著書があります。
名前だけでは よく、女性とまちがわれるそうですが、れっきとした男性です。
今回の講演も、身近な電気製品を使って省エネ度を実験された話から、果ては、南極や北極に調査にいかれた話などとても幅の広いお話でした。
特に、今おきている戦争は、石油、天然ガス、それらのパイプライン、鉱石、水の5つが原因で、それらを自然エネルギーに変えることで解決できる、ということなど まさに目からウロコの話がいっぱいでした。
ほとんど、中座される人も、おしゃべりする人もなくあっというまの2時間でした。
参加者は、170名を超えていたそうです!
講演を通じて以前から交流のあった田中優さんと一緒に 翌19日には、竹パウダーを作っている都農町のKさん宅に 見学に行ってきました。
(Kさん夫婦とは、昔からの知り合い。。。色々な所で 人は繋がるものですね)
田中優さんも半年前から竹パウダーのことに興味をもたれ、その効力についていろんな話がかわされました。
家庭からでる生ごみの処理、牛や豚などの畜産関係、畑作や稲作までと いろんな使い方があるとのこと。荒れた竹林対策にもなりそうです。
約1時間半ほどでお暇し、駅までの雑談のなかで、まだ講演にいったことがないのは島根県だけ、ということでした。
田中優さんについては「田中優の持続する志」で検索できます。
写真はKさん宅のススキ・・・仕事の時に出ていた竹のおがくず(竹パウダー)を株元に捨てていたら、こんなに大きくなったそうです。
Kさん宅のコンポスト・・・何もかも すっかり分解され、臭いも全くありません。
2010年01月20日
絵本

結成14、5年の読み聞かせのグループ 「虹の会」に入ってから、5年近いですが、私が一番の新入りです。
畑の仕事の合間に いつもバタバタと 駆け込み訪問・・・

「これではいけない」と思いつつ、今日も駆け込んでしまいました。
今日読んだのは エリック・カール作 『できるかな? あたまから つまさきまで』 (偕成社)
年中さん、年長さんとも ゾウのように足ぶみしたり、ネコのように背中を丸めたり、アザラシのように 手をぱん ぱん ぱん・・・と大うけでした。
それから 姉崎 一馬作 『たきび』 (福音館書店)も この季節にはピッタリですね。河原でたきびをする・・・一日中ゆっくりと、家族と過ごす・・・ねじりパンを焼きながら・・・
それから、絵本を入れるバッグは・・・これ
やはり、てんとうむしバッグです

2010年01月06日
「新」尽くし その1
明けまして おめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
昨年末から投稿しそびれていた出来事を、本日 一挙公開・・・は無理なので、小分けして公開です

先月8日に産まれた子牛クン。「新太」と名づけました(ちゃんと、農協の畜産課へ出生届けをするんです

暮れに「ことしの漢字」が「新」に決まるのと同じ頃でした。が、命名の由来は ごくプライベートに「新たな気持ちで出発しよう」との思いからです。
新太が産まれた次の日は、うちの てんとうむし夫の3回目の検査の日でした。。。
気軽に受けた住民検診から始まって 再検査の度にだんだん気がおも~くなってました。
重くなりながらも、頭に浮かぶのは あの歌。
映画「千と千尋の神かくし」の挿入歌「いつもなんどでも」(だったかな?)
『生きている不思議 死んでゆく不思議 花も風も街も みんな同じ・・・』と高く美しい歌声が 頭の中で ずっと繰り返されていました。
緊張して聞いた検査の結果は、「悪いものではないようです」との事でした(念のため数ヶ月後に もう一度検査ですが)
夫と帰る車の中で 子牛の名前を決めました
それで「新太」くんです! よろしくお願いします

2009年03月25日
卒業式
以前見た 古い映画の事です・・・木下恵介監督だったか・・・貧しい夫婦のひとり息子が、大学に進学することに。父親は道路工事、母親は会社の寮母さんになって働き、じいちゃん、ばあちゃんは内職で息子に仕送り。。。
それでも足りないので、息子はバイトに明け暮れて、落第。すったもんだの末、晴れの卒業式に夫婦で出席して、はらはらと涙を流す・・・
映画を見ているうちに、だんだん身につまされて。
「私たちも、末娘の卒業式に出席して、上の息子や娘たちの分まで思いっきり泣こうよ!」と提案したら、てんとうむし夫は「おれの親父とおふくろも、こんな気持ちだったかも・・・」と、すでにウルウルしていました。
そして、今日は、その卒業式
長女の運転で、また鹿児島に行ってきました。涙はなし、夫は留守番。長女と孫と私の3人で。
大学で、色とりどりの晴れ着や袴姿の女子学生さんをながめては卒業式気分に浸り、勇気を出して、学食で昼ごはんを食べました。あとは、写真を撮りまくり・・・私のお下がりの、さくら柄の草履。。。(この季節にぴったり!)と思って末娘に履かせたら、たちまち草履の裏がペラペラとはがれてしまい、ぺたんぺたんと歩くのも、良い思い出になりそうです。
追伸:まだ学校に居残ることになったので、親の心配事は続きそうです・・・次の卒業の時は ひっそりと泣けるかもしれません。
2009年03月09日
桜島は久しぶり
大学には「卒論発表会」と言うものがあるようです。一年間近くかかって調べ、書き上げた論文・・・持ち時間はたったの十数分ながらも、晴れがましいことでしょう。末娘の最後の参観日・・・のつもりで出かけました!
久しぶりの桜島~
どの学生さんも、初々しくも 堂々と、そして 専門知識のない私にも分かりやすい発表で 思わず拍手をしたくなりましたが、だれもしないので、心の中で

さ~て、来たついでに どこか観光? 街をブラブラ?・・・けれど娘の部屋に入って現実に戻されて

冷蔵庫が~っ!
旧式とはいえ・・・ 霜も積もれば山となるぅ~~~うちの娘は平気のようです
あれこれ試して、考えて思いついたのが、お湯を入れたペットボトルで霜を溶かす方法!
待つこと1時間半ほど。がさっと音がして塊りが落ちてきました。なぜか気持ちい~いそして嬉し~い
霜とり完了です
帰りは、「なんとなくドライブ」・・・(迎えに? なんてやさしい!)ということで、宮崎から来た娘夫婦と合流し、楽しくおしゃべりをしながら、家まで送ってもらいました。
けれど、ほとんどの時間を掃除に費やして、お土産も買い忘れたミニ旅行でした。